2011年6月14日火曜日

喪に服す

今日はエストニア全土が喪に服しました。国旗が半旗になったり喪章が付けられ、皆が忘れられない悲しい日を心に呼び戻しました。70年前の今日、10,861人もの人々がソ連によりシベリアに抑留されたのです。その中には外国人も含まれており、その国籍は15カ国にも及んだと言います。

自由広場では要人が集まって式典が行われ、モニュメント前には沢山の献花がありました。
自由広場には1941年6月14日の早朝に人々の家の前に来た当時の車が展示されました。人々は招集命令からたった1時間で準備をしなくてはならなかったそうです。抑留された人の60%が女性と子どもでした。


駅からはこのような列車に乗せられてシベリアまで連れて行かれたそうです。車両は490両連なり、全長4キロにもなったそうです。(単純に計算して1両当たり20人の人々が押しこまれていたことになります。)多くの人は寒さと飢えのため、シベリアで亡くなり、生きて帰ってくることが出来た人々は4,331人だったそうです。


街の旗にも黒い喪章が付けられました。国民の一体感を感じます。
1940年~41年の1年間に政治的な理由で捕まえられたエストニア人は8,000人に及び、うち2,400人が処刑され5,400人がソ連の刑務所で命を落としました。またこの1年間で34,000人の若い男性が徴兵され、そのうち約3分1が飢えと伝染病で亡くなったそうです。何とも辛い過去です・・・。

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