2012年4月30日月曜日

欧州オーケストラフェスティバル、フィナーレ

欧州オーケストラフェスティバルのフィナーレコンサートは、自由広場で行われます。会場の設営は前日から始まりました。
いよいよ本番。大勢の観客が集まりました。












最後の曲は舞台いっぱいの演奏者。Tonio Tamra(1962)氏によるワルツとポルカ、"August, rye harvest and an ant (8月、ライ麦の収穫と蟻)"が初演されました。会場大盛り上がりです。明日から一行はサンクトペテルブルクにコンサートツアーに行くとのこと。
次回のオーケストラフェスティバルは3年後。場所はアイルランドだそうです。

おまけ。今日は夕日がとても美しかったです。一瞬の間にタイミングを失ってしまいましたが・・・。これで22時。ずいぶんと日が長くなりました。

レンギョウ、花開く。

4月25日。
 4月28日。
 4月29日。
そして、今日!まだまだ日の当るところだけしか黄色くなっていないので、これから毎日が楽しみです!!!


本日から中庭の噴水も再び動き出しました!!

2012年4月29日日曜日

第9回欧州オーケストラフェスティバル

第9回欧州オーケストラフェスティバルが27日~30日までここタリンで開催されており、アマチュアのオーケストラ26団が、欧州13カ国から集まりました。参加者は総勢700人。9のコンサートと9のワークショップがタリン市内で開催されています。


私はカールリ教会で開催されていたワークショップを鑑賞してきました。カールリ教会は1882年に完成した教会で、国内で一番大きなパイプオルガンを保有しています。音響も良く1,500人が着席できるとのこと。


私が見学に行ったときにはちょうどドヴォルザークの新世界よりが演奏されておりました。この手のコンサートはこの国ではガラガラのことが多いのですが、今日は人も沢山入っていて一安心。


こんなところにプロモーションのシールが貼ってありました。意外に広報も頑張っていたようです。

スポーツイベント

自由広場で朝からスポーツのイベントが開催されていました。エストニアのイベント会社は短い春夏秋の数か月しか活躍の時期がないというのにこのような設備を一晩で作ってしまうのところが大したものです。明日はこの広場でオーケストラの演奏があるので終了後すぐに撤去と次の設営が行われるのだと思います。

2012年4月27日金曜日

第6回日本アニメ映画祭

今年も恒例の日本アニメ映画祭が始まりました。深海誠氏の作品を中心に多くの日本アニメがエストニアに届いているようです。

2012年4月26日木曜日

あの4月事件から5年

2007年4月に起こった事件から今日で5年。その事件はエストニアのロシア系住民とエストニア人の溝をある意味で深めてしまった事件です。そしてエストニアはその事件の直後、サイバー攻撃の標的となりました(犯人はもちろん特定されていませんが、攻撃のほとんどはロシアから仕掛けられたようです)。

事件の発端は、銅の兵士の移転問題(写真)。この兵士像は今は郊外のロシア人墓地にありますが、2007年4月まで都心の国立図書館の前にありました。1947年9月22日(ソ連軍がエストニアを「占領」してちょうど3年後)、第二次世界大戦の戦士者を追悼するものとして建立されました。1941年から1944年までエストニアはナチスドイツの支配下にあったため、エストニアにおけるロシア系住民(特に退役ソ連兵)にとってこの像は「戦勝」とナチスからの「解放」を象徴していますが、エストニア人にとってはロシアからの「再占領」を象徴するものとなっていました。
移転の話は以前から何度も出ていたようですが、2007年3月に行われた国会選挙でアンシプ改革党党首はこの銅像の移転を公約に掲げ大勝利。移転に際し、反対派と政府との間で騒乱が起おこり死者も1名出すという事件に発展してしまいました。

この銅像を守るために2006年に創設され、事件にも関係したNPOが「夜警団(Night Watch)」と言われる団体。ロシア政府からの支援を受けているとも言われています。今年もこの日を記念した集会が開かれました。たまたま通りがかったので遠目から観察しましたが、マスコミの数の方が多いくらい細々とした集会でした。いかにも「外国人」というのは私だけだったので身の危険を感じ、すぐにその場を立ち去りましたが、報道によると20~30人が集まったとこのと。



この事件でエストニアはサイバー防衛に力を入れるようになり、今となっては世界をリードするITやサイバーの先進国となりました。国家万事(?!)塞翁が馬です。もうひとつロシアのお陰で(?!)成長した分野があります。それは輸出。以前は輸出もかなりの割合でロシアに頼っていたのですが、エストニアがEUやNATOに入ることになり、ロシアから輸入に対する規制を受けた結果(いわゆる「意地悪」です)、ロシア以外の国への販路も広がり輸出大国となりました。

2012年4月25日水曜日

タリン-モスクワ

朝駅の近くでタリン-モスクワの定期列車に遭遇。近いようで遠いお隣のロシアですが、調べてみるとタリン-モスクワ間の列車は毎日運行している模様。タリンを17:30に出発した列車は翌朝9:20にモスクワに到着するようです。モスクワ-タリンは18:05発翌朝8:25着。列車の旅も楽しそう。ただし入国にはエストニア人も日本人も査証が必要ですが・・・。

2012年4月22日日曜日

Kopli

今日はトラムの終点、コプリまで行ってきました。コプリはタリンの北西部にある半島地域です。

こちらは海洋学校。
トラムを降りると海が見えます。造船場と海洋学校以外にあるものは林とパブだけでした。観光客向けに開発の余地がありそうなところです。

帰りにご近所で学生団体がバルコニーでビールを片手に大声で歌を歌っているのを見かけました。何かの記念日だったのでしょうか?

2012年4月21日土曜日

ぬり絵

上を見ても下を見ても暗い色ばかりのタリンの自然でしたが、少しずつ色々な色が出てきました。今日普段通らない公園を通ってみると、こんなに輝いているクロッカスが!



野生の花も少しずつ芝生から顔を出してきています。
















毎年楽しみにしている連翹も硬い芽をつけはじめています。突然町でぬり絵の大会が始まったかのように毎日違う色が出てくるのでとても楽しいです。

2012年4月15日日曜日

シベリウスの生誕地

Cumulus ホテルの朝食は種類が沢山あって大満足。フィンランド人の体格の良いお兄様方は朝から山盛りのミートボール(たぶん30個くらい!)とソーセージをモリモリ食べていてとにかくすごかったです。
こちらはフィンランドの国民食とも言えるkarjalanpiirakka(カルヤランピーラッカ)。お米のタルトとでもいったところでしょうか?外の皮はライ麦。中にはミルクご飯が入っています。ほんのり甘くてとても美味しいです。フィンランド人はこの上にお野菜などを乗せて頂くのだとか。


沢山朝食を頂いた後は、シベリウスの生誕地、ハメーンリンナの町を散策します。こちらは町の中心のマーケット広場にある教会。


 遊歩道には沢山の人が走ったり散歩をしたりしました。湖にはまだ氷がはっています。













ハミ城。

シベリウス公園のシベリウス像。


こちらはほぼ町の中心にあるシベリウスの生家。


中は博物館になっています。






シベリウスはこの部屋で生まれたとか。

博物館には日本語の解説書もありました。今日の係りの方は平日は他に仕事を持っているのですが、土日は趣味で働いていると言っていました。ここでは見学中の曲のリクエストも受け付けてくれます。私はフィンランディアを聞きながら見学させて頂きました。何度聞いても祖国への愛を感じるすばらしい曲です。



自然が豊かなハメーンリンナ、良いリフレッシュになりました。











最後は愛すべきヘルシンキ中央駅の守護神(?!)たち。キャラクター化されており、ポスターなどにひっぱりだこです。



美味しい日本食のお店もあると聞いたので、今度はヘルシンキにゆっくり遊びに来たいと思います。