3月25日、レストランからの帰りに自由広場を通ると、広場いっぱいにキャンドルが灯されていました。残念ながらまわりに英語の出来る方がいなかったので、同僚がロシア語を駆使して警備員にインタビューしてみるとソ連へ強制連行されたエストニア人を弔う灯であることが分かりました。
後日調べてみると、エストニア外務省のホームページにも詳しい説明がありました。それによると、エストニアでの大規模な強制連行は1941年6月14日と1949年3月25日に行われました。1941年には4日間のうちに子どもや女性を含む約1万人のエストニア人が連れ去られ、1949年には約2万人のエストニア人がシベリアに連れ去られました。連れ去られた人の多くは遠い極寒の地で寒さと飢えに苦しみながら労働を強いられていたようです。多くの人は故郷の地を踏むことは二度となく、連行先で亡くなったと言います。
自由広場には2万個の蝋燭に火が灯されたのだそうです。式典には大統領はじめ政府の要人が多数参加したとか。
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