2007年4月に起こった事件から今日で5年。その事件はエストニアのロシア系住民とエストニア人の溝をある意味で深めてしまった事件です。そしてエストニアはその事件の直後、サイバー攻撃の標的となりました(犯人はもちろん特定されていませんが、攻撃のほとんどはロシアから仕掛けられたようです)。
事件の発端は、銅の兵士の移転問題(写真)。この兵士像は今は郊外のロシア人墓地にありますが、2007年4月まで都心の国立図書館の前にありました。1947年9月22日(ソ連軍がエストニアを「占領」してちょうど3年後)、第二次世界大戦の戦士者を追悼するものとして建立されました。1941年から1944年までエストニアはナチスドイツの支配下にあったため、エストニアにおけるロシア系住民(特に退役ソ連兵)にとってこの像は「戦勝」とナチスからの「解放」を象徴していますが、エストニア人にとってはロシアからの「再占領」を象徴するものとなっていました。
移転の話は以前から何度も出ていたようですが、2007年3月に行われた国会選挙でアンシプ改革党党首はこの銅像の移転を公約に掲げ大勝利。移転に際し、反対派と政府との間で騒乱が起おこり死者も1名出すという事件に発展してしまいました。
この銅像を守るために2006年に創設され、事件にも関係したNPOが「夜警団(Night Watch)」と言われる団体。ロシア政府からの支援を受けているとも言われています。今年もこの日を記念した集会が開かれました。たまたま通りがかったので遠目から観察しましたが、マスコミの数の方が多いくらい細々とした集会でした。いかにも「外国人」というのは私だけだったので身の危険を感じ、すぐにその場を立ち去りましたが、報道によると20~30人が集まったとこのと。
この事件でエストニアはサイバー防衛に力を入れるようになり、今となっては世界をリードするITやサイバーの先進国となりました。国家万事(?!)塞翁が馬です。もうひとつロシアのお陰で(?!)成長した分野があります。それは輸出。以前は輸出もかなりの割合でロシアに頼っていたのですが、エストニアがEUやNATOに入ることになり、ロシアから輸入に対する規制を受けた結果(いわゆる「意地悪」です)、ロシア以外の国への販路も広がり輸出大国となりました。
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